Written by ART Driven Tokyo

Aubrey Breadsley フレデリック・ホリヤ―による肖像写真 Photo:wikimedia commons


最近、三菱一号館美術館(東京・丸の内)で開催中の「異端の奇才 ビアズリー展」2025.2.15(土)- 2025.5.11(日)が話題です。でも、「ビアズリーってそもそも誰?」と思った方、多いのでは?今回はそんな疑問にズバリお答えします。

オーブリー・ビアズリー(Aubrey Beardsley)は、1872年イギリス・ブライトン生まれの画家、イラストレーターです。彼は19世紀末、いわゆる“世紀末芸術”を代表するアーティストのひとり。白黒のインク画で知られ、その作風は「妖しい」「官能的」「エレガント」と、見る人の心をざわつかせるような不思議な魅力を放っています。

病弱な天才、早熟の少年

オーブリー・ビアズリー(Aubrey Beardsley)は1872年、イギリス南部ブライトンに生まれました。家計を支えるために16歳から事務員として働きます。ビアズリーは幼いころから肺結核を患い、いつ命を落としてもおかしくない体調でした。

けれども、その病弱さが彼を「内なる世界」へと向かわせます。ピアノや文学、そして絵画に没頭する少年時代。10代で絵やイラストの依頼を受け始め、ロンドンのアートシーンで早くから頭角を現しました。

世紀末ロンドンと「デカダンス」

ビアズリーが活躍したのは、世紀末と呼ばれる19世紀末のロンドン。産業革命で豊かになった一方、虚無感や不安、死への憧れが人々の心に広がっていました。そんな“退廃(デカダンス)”のムードに、ビアズリーの黒と白だけで描かれる耽美な作品はぴったりハマったのです。

彼の作品には、官能的でグロテスクなもの、あるいはユーモラスで皮肉めいたものも多く、世間を騒がせました。特に「性」や「死」といったテーマをストレートに扱うビアズリーは、当時のイギリス社会ではスキャンダラスな存在でもあったのです。

オスカー・ワイルドとの運命の出会いと確執

Aubrey Beardsley – The Dancers Reward
Photo: wikimedia commons

彼の名を一躍有名にしたのが、文豪オスカー・ワイルドとのコラボです。ワイルドの戯曲『サロメ』の挿絵を担当したビアズリーは、物語の持つ官能的で残酷な雰囲気を、独特のイメージで表現しました。たとえば、サロメがヨハネの首を持つ場面や、不気味な踊りのシーンなど、どれも象徴性が高く、見る者を圧倒します。

ビアズリーはこの作品のために象徴的で大胆な挿絵を多数制作。しかし、ワイルドはビアズリーの絵を「ユーモアが過ぎる」と苦言を呈したとも言われます。ビアズリーの皮肉っぽい表現が、戯曲の純粋な耽美さを台無しにする、と感じたのかもしれません。

挿絵の随所に、ワイルドと思われる男性像が出てきます。顔が極端な台形になっていて、なんだかワイルドに似てるんですよね。かなり笑えますが、ギャグにされてしまったワイルドは怒ってしまったかもしれませんね。

下の写真は、ビアズリーがアートディレクションを手がけた雑誌「イエローブック」の表紙です。

Masquerade, cover design for The Yellow Book, vol. 1, 1894
Photo: wikimedia commons

当時、『サロメ』は「退廃的すぎる」としてイギリスでは上演禁止にされましたが、ビアズリーの挿絵は逆に「過激で美しい」と大評判に。彼はこの成功をきっかけに、雑誌『イエローブック』のアートディレクターに就任。黄色は「退廃の象徴」とされており、雑誌そのものもセンセーショナルな存在となりました。

しかし、1895年、ワイルドが同性愛の罪で逮捕されてしまいます。ビアズリー自身は同性愛者ではありませんでしたが、ビアズリーが参加していた雑誌『イエローブック』も、ワイルドのスキャンダル(同性愛裁判)と無関係ではないと疑われ、一部から批判を浴びました。結果、ビアズリーは雑誌のアートディレクターを解任され、ワイルドとの関係も次第に疎遠になっていきます。

病気の悪化、晩年の宗教的改心

ビアズリーは病との闘いの中で、その才能を燃やし尽くしていきます。病状が悪化しても創作を続け、フランスなどへの転地療養もしながら、最後まで作品を発表し続けました。

体調の悪化とともに、ビアズリーは精神的にも大きな変化を迎えます。1897年、敬虔なカトリックに改宗し、自身のエロティックな過去作品について「すべて破棄してほしい」とまで言ったと伝えられています。あんなに挑戦的だった彼ですが、やはり、人間、死を目前にすると弱気になってしまうのでしょうか。

しかし、友人たちはその遺言には従わず、作品は今日まで残されることになりました。

1898年、25歳という若さで、ビアズリーは世を去ります。短すぎる人生ですが、その間に遺した作品は1000点以上。彼の作品はアール・ヌーヴォーや現代のマンガ文化、ファッションにも影響を与え続けています。

なぜ、今も愛され続けるのか?

「白黒だけなのに、なぜか圧倒的に美しい」作品たちは、今なお世界中のクリエイターたちの心を刺激し続けています。

オスカー・ワイルドとの確執も含め、ビアズリーはただの“美しい絵を描く人”ではなく、社会のタブーや欲望に踏み込んだ「挑発者」だったのかもしれません。

もし「難しそう…」と思っていた方も、実際に作品を目の前にすれば、きっとその世界観にハマるはず。ぜひ、この機会に彼の“魔力”に触れてみてください。

ビアズリー解説の連載②は、「意外と知られていない、ビアズリーの作風の良さ」についてです(下の記事)。初心者にもわかりやすく解説しています。ぜひ、読んでみてください! 

また、ビアズリーの代表作サロメは、古くから多くの巨匠が描いています。連載③では、5人の巨匠のサロメを、ビアズリーのサロメと比較しています(もう一つ下の記事)。ぜひご一読を!