ART Driven Tokyo 編集長 竹田さをり

Refuel Meal, 1996
Acrylic on board, in 2 parts Overall: 57 5/16 × 81 1/8 inches (145.6 × 206 cm)
© Tetsuya Ishida Estate
Courtesy the artist, Shizuoka Prefectural Museum of Art, and Gagosian

日本人は彼を「悲しみの画家」と呼ぶ。享年31歳、NYでの個展を夢見ていた

石田哲也は、現代人の生きづらさを無意識のレベルまで追求し、精緻な具象作品によって、観客に人生についての考察を迫る日本人画家だ。彼の個展My Anxious Self(不安なわたし)が、世界最高の商業ギャラリーのひとつ、NY・チェルシーのガゴシアンで、10月21日まで行われている。約200の全作品のうち、80点以上が展示されている。31歳で事故死した石田(1973-2005)の夢は、欧米で個展を開くことで、遺体に残された財布には、夢が叶うようにお守りとしていつも持ち歩いていた米ドルが入っていた。石田の生誕50周年を記念した、日本以外では初めての、包括的展示会だ。卓越した日本人作家たちの芸術を世界に紹介し、禅の精神で世界の美術史を変えることをミッションとするわたしたちART Driven Tokyoは、ローンチ1本目の記事が、石田のレビューであることに、運命のようなものを感じている。石田がこの世に残した意義深い痕跡を、作品を通して、その強いメッセージをかみしめながら、ご紹介する。(会期終了)

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生まれたときから不況、報われない重労働。個展「不安なわたし」は、日本人の肖像だ

Tetsuya Ishida, My Anxious Self, 2023, installation view © Tetsuya Ishida Estate
Photo: Rob McKeever
Courtesy Gagosian

ガゴシアンのアジア担当シニア・ディレクターであるニック・シムノヴィッチ氏は、「9月12日のオープニングには、著名なコレクターやキュレーターを含む600人以上のアートファンが集まりました。来場者はテツヤと彼の作品について知りたがっており、その反応は信じられないほどポジティブなものでした」と話す。

石田がアーティストとして頭角を現したのは、1990年代の日本の「失われた10年」と呼ばれる不況期であった。彼の絵画は、急速な技術革新にもかかわらず、この時期の日本社会を特徴づけていた絶望感、閉塞感、断絶感を捉えている。

断絶・孤立・絶望を幻想的に描き、どこか癒される。NYのアートファンも石田に共感する

Refuel Meal, 1996-労働者が、外食チェーンで、ロボットのように、燃料補給のような食事をしている。労働者たちのうつろなまなざしは、焦点が合っておらず、病んでいるようにみえる。大量消費社会の危うさ、疎外感を表現している。

石田は生前、「最初は自画像だった。弱い自分、情けない自分、不安な自分といった自分を、冗談や笑いのネタにしようとした。それは、現代人に言及したパロディや風刺として見られることもあった。そのことを考え続けるうちに、消費者、都市生活者、労働者、そして日本人へと対象を広げていった」と話していたという。

石田が描く風刺―会社や学校といった、自己の喪失を強要する組織の抑圧から逃げられず、居場所がなく、生きづらいことーは、日本人ならだれでも理解できるものだ。そして、いま、アジアはもとより、欧米のアートファンも、その深い悲しみの世界に魅了されている。

シムノビッチは言う。「驚くことではありませんが、テツヤの作品はニューヨークで非常に受容的な聴衆を見つけました。彼の絵画の深遠な人間性は、断絶、疎外感、絶望といった普遍的なテーマを扱っているだけでなく、私たちが生きている時代そのものを物語っています。ある面では、機械やテクノロジーの影響に対する彼の認識は、この作品が最初に制作された1990年代後半よりも、今の方がより切迫したものとして響き、感じられるのです」。シムノビッチはまた、「私たちは彼の作品の質の高さを信じていますし、欧米で見られ、理解されることが非常に重要だと感じています」と言う。

Tetsuya Ishida, Gripe, 1996, Acrylic on board, 23 3/8 × 16 5/8 inches (59.4 × 42 cm) © Tetsuya Ishida Estate. Photo: Martin Wong
Courtesy Gagosian

克明すぎる夢、異物になる夢が、創作の源だった

Tetsuya Ishida, Gripe, 1996-石田の作品の最大の特長は、人間が、動物やオブジェと融合するシュールレアリズムだ。2006年に放映された、日本の公共放送NHKの美術番組「Sorrow Canvas-石田徹也の世界」によると、彼は恐竜から人間が生まれる克明な夢を見るなど、動物と人間が融合する夢を見ることがあり、作品に生かしていたという。

日本の駅では、かつて、駅員が、客のチケットに穴を明けて、改札を通していた。制服姿の駅員の手はザリガニでチケットを持って切ろうとしている。朝から夜まで、チケットをきり続ける労働は、やがて、国営鉄道の民営化に伴うリストラによって、消滅し、多くの駅員が仕事を失った。異物になった駅員の無力さ、都市労働者の悲哀が伝わってくる。

Tetsuya Ishida, Gripe, 1997, Acrylic and oil mounted on board
16 5/8 x 23 3/8 inches (42 x 59.4 cm)
© Tetsuya Ishida Estate
Photo: Martin Wong
Courtesy Gagosian

過酷な肉体労働で生計を立てた。辛さを皮肉、パロディーに。生き残るために

Tetsuya Ishida, Gripe, 1997-人間が工事車両と一体化し、拘束され、労働を強いられている。逃げ場のない悲しみが、無意識のレベルまで、ロマンティックなまでに、極限まで表現されている。観客は、この人間車両に自分を重ね合わせ、見ないようにしていた人間性の喪失の危機と向き合い、考え込むことになる。このまま進むのか、逃げ場はあるのか? 見てみないふりをしていていいのか? 人間は、どこへ行きつくのか?

石田は生活に困窮しており、工事現場の警備員など、重労働で生計を立てていた。NHKのSorrow Canvasによると、石田の母親は援助を申し出たが、石田は自立のために、それを断ったという。石田は自身の悲しみに客観的であって、観客をネガティブさに引きずり込まない。石田は、過酷な労働を、皮肉な笑い、パロディーにすることによって、人間性をつなぎとめようとしたのだろう。

My Anxious Self, 2023, installation view
© Tetsuya Ishida Estate
Photo: Rob McKeever
Courtesy Gagosian

Tetsuya Ishida, Recalled, 1998, Acrylic on board, in 2 parts
Overall: 57 3/8 × 81 1/8 inches (145.6 × 206 cm)
© Tetsuya Ishida Estate
Photo: Martin Wong
Courtesy Gagosian

うつろな視線が問う。ロボットのように生き、大量生産品のように囚われ死ぬ。それでいいのか?

Tetsuya Ishida, Recalled, 1998-葬式の棺は、テレビが入っていた箱。遺体は、プラモデルの部品のように、整然と、収納されている。組み立てラインの労働者の終焉の地は、大量生産品と同じように、段ボール箱のなか、ということか。

石田の作品は、ドガのように、亡くなってから大量に発見された。石田の生涯は、その困難の劇的な面が強調されがちだが、もちろん、描いているときはとても幸せだったろう。日本の有名な美術大学を卒業後、わずか10年の間に描かれた作品群は、大きいサイズのものが多く、きっちりと遠近法を使って描かれており、下書きだけでもかなりの労力が必要だったはずだ。石田は、悲しみを、皮肉な笑いに昇華させた。かなり精力的で、そして真面目な作家だった。

Tetsuya Ishida, Prisoner, 1999, Acrylic on board
40 5/8 × 57 3/8 inches (103 × 145.6 cm)
© Tetsuya Ishida Estate
Courtesy the artist and Gagosian

Tetsuya Ishida, Prisoner, 1999- 校舎に縛られて、身動きが取れない人間。校庭には、子供の姿がまばらに描かれており、その辛さが際立つ。

Tetsuya Ishida, Untitled, 1998, Acrylic on canvas, in 2 parts
Overall: 57 3/8 × 81 1/8 inches (145.6 × 206 cm)
© Tetsuya Ishida Estate
Courtesy the artist, Kyuryudo Art Publishing, and Gagosian

社交は苦手だった。でも、いつも人間を描いた。なぜなのか。

Tetsuya Ishida, Untitled, 1998- 国土が狭く、住居も狭い日本の家庭によくある、ベッドの下に、勉強机をしつらえた家具。やはり、人間は身動きがとれないが、うつろな目線だけは、頼りなく、しかし、究極の感情をもって、この世界を漂う。日本人は、怒りを、悲しみで表現するのだ。 どんな作品も、作家自身のポートレイトであり、石田自身もそう言っているが、石田の作品は、その寡黙すぎる性格とは全く裏腹に、饒舌だ。

ウィーンのレオポルド美術館の共同設立者でキュレーターのディートハルト・レオポルドは、元心理療法士である。今回の展示会のカタログで、レオポルドは、「この日本人離れした戦略は、自画像のためではなく、一般的な “サラリーマン “を批判的に観察するためのツールとして適用されている」と分析している。

人づきあいが苦手だったという石田。しかし、彼は、いつも人間を描いている。なぜだろう? 

本当に人間が嫌いだったら、人間を描かないはずだ。

NHKのSorrow Canvasでは、石田が、映画を制作の参考にしていて、几帳面に鑑賞ノートを書き綴っていたことを報じている。映画ベティ・ブルーを見た石田は、「出てくる人物は、絶えず動いている。それは切なさにつながり、変わっていく風景。変わっていく人間関係」と感想を書いている。人間、人間関係にとても興味を持っている様子が伺える。

人間とうまくいかないけれど、人間が気になる。人間と触れ合えるように、石田は、もがき、必死で努力していたのではないか。何度でも思う、石田は、かなりストイックな人物なのだ。

Tetsuya Ishida, Untitled, 2004, Acrylic and oil on canvas
17 7/8 × 20 7/8 inches (45.4 × 53 cm)
© Tetsuya Ishida Estate
Courtesy the artist and Gagosian

幻想的でイラストのような絵は、今の時代にちょうどいい。石田の登場は少し早すぎた

Tetsuya Ishida, Untitled, 2004- なんと迫力のあるメメント・モリであることか! 石田は晩年、肝臓を患っていた。制作の途中でも、人生の途上でも、ときに不安になるのが画家であるが、石田は、冷たく、透明な死の不安を直視して表現した。

石田は、1990年代に、日本の有名なグラフィックアートや絵画の賞を獲得し、日本の代表的なアート地区である銀座のギャラリーにも所属して、欧米で活躍しようとしていた。あれから2,30年たった今、石田の作品は、世界のアートファンにとって、ちょうどいいのだ。21世紀初頭の現代アートは、コンセプチュアルなものから、具象絵画へ、と変化している。観客の好みは、知的になりすぎたコンセプチュアル・アートから、アクセシブルな具象に移ってきている。石田が亡くなった2005年ごろ、世界のアートは、まだコンセプチュアル全盛の流れをひきずっていた。奈良美智の成功により、今でこそイラストアートは高い評価を得ているが、当時、イラストの地位は低かった。

タイミングが合わなかったのだ。石田は少し早すぎたのだ。

ART Driven Tokyoは石田を悼み、誇る。今後も、美術史を変えるような日本人芸術家を報道する

繊細な職人技と、ポップで幻想的でありつつ、深淵な精神性を備えた、多くの才能ある日本人作家が、有名な賞をとりながらもチャンスにめぐりあえず、困窮している。筆者は、少なからぬ日本人芸術家が、絵をあきらめ、別の仕事につく様子を数多く見てきた。アートドリブン東京は、この状況を変えるためにローンチされた。ひとりでも多くの日本人芸術家が、石田のように、毎週のように、ガゴシアンやペースやペロタンで個展を開くようになることを願い、その日は近いと確信する。

Tetsuya Ishida, My Anxious Self, 2023, installation view
© Tetsuya Ishida Estate
Photo: Rob McKeever
Courtesy Gagosian

展示会詳細

石田徹也「不安なわたし」 curated by Cecilia Alemani

2023年9月12日-10月 21日, 555 West 24th Street, New York

営業時間: 火曜–土曜 10時–18時

石田徹也

1973年焼津市生まれ、2005年相模原市にて逝去。主な個展に、2007年「悲しみのカンヴァス」(静岡県立美術館)、2007年「CBコレクション」(東京)、2008年「自分たちの自画像」(練馬区立美術館)、2013年「ノート、夢の証拠」(足利市立美術館)、2014年まで平塚市美術館、砺波市美術館、静岡県立美術館を巡回; 砺波市美術館(富山)、静岡県立美術館(2014年まで)、《絵筆で世界を救う》アジア美術館(サンフランシスコ)(2014-15年)、《他者の自画像》国立ソフィア王妃芸術センター美術館(マドリード)(2019年、ライトウッド659(シカゴ)に巡回)。石田の作品は、第4回横浜トリエンナーレ(2011年)、第10回光州ビエンナーレ(2014年)、第56回ヴェネチア・ビエンナーレ(2015年)にも出品されている。

展示会カタログ(ガゴシアンショップ)Tetsuya Ishida: My Anxious Self

Contact: Gagosian

collecting@gagosian.com